これは、あなたが私から受け取ったどの手紙よりも、はるかに書くのが難し
い手紙です。私は二十四時間、悩みつづけました。昨晩、私はエンバンクメン
トの通りを散歩しました。辻馬車がゆっくり走り、市街電車の明かりが、カン
サスの我が家の裏庭を飛び交った蛍のように、ウェストミンスター橋の上を踊
っていました。私は歩きながら悩みました。今日も部屋に閉じこもって悩みま
した。今、こうして手紙にとりかかろうとしているときも、私はまだ考えがま
とまりません。どこからはじめればよいのか、なにを言えばいいのか、まった
く分からないまま私は書き出しました。
この前の手紙の最後で、私はあなたにフレイザー=フリーア大尉を殺したの
は私だと打ち明けました。それは真実です。どんなに婉曲に表現しようと、突
き詰めればおなじことです。なんと苦い真実でしょう!
まだあれから一週間も経っていない先週の木曜日の夜七時、私は暗い階段を
上り、あの無防備な紳士の心臓にナイフを突き刺しました。もしも彼がなんら
かの形で私を怒らせたと言えるなら、もしも彼の死がブレイ警部にとってとお
なじように私にとっても必要であったと証明できるなら、いつかあなたの許し
が得られる希望があるかもしれません。しかし、なんということでしょうか、
あの紳士は私にとてもよくしてくれたのです。私の手紙からはご想像もいただ
けないくらいに親切だったのです。彼を亡き者にする必要など、実際はなかっ
たのです。私はどこに自己弁護を求めることができるでしょうか。
今、私に思いつくただ一つの弁護はこれだけ……大尉は、私が彼を殺したこ
とを知っている! ということです。
これを書いている今も、最初の手紙を書きながらここに座っていたときとお
なじように、大尉の足音が頭上から聞こえます。彼は夕食に出かけるために、
身なりをととのえているのです。私たちは一緒にロマノズのレストランで食事
をすることになっています。
さあ、お嬢さん、あなたを悩ました……と私が期待する……謎の答えがつい
にお分かりでしょう。私は二番目の手紙で親友の大尉を殺しました。その後の
奇妙な展開はそっくり、書斎の緑色の笠が付いたランプのそばで、小説の広告
にあるように、あなたの注意を最後までつかんで離さない手紙を七通もどうや
って書いたらよいのだろうと考えをめぐらす私の想像力の中の出来事だったの
です。ああ、私は罪を犯しました……それは否定できません。聖書のアダムの
真似をして、美しい女性に誘惑された、などとほのめかすことはしたくないの
ですが、真実を厳密に尊重する立場からは、あなたにも罪があるのだといわざ
るを得ません。どうしてでしょう? あなたがデーリー・メールに載せたメッ
セージを思い返してください。「グレープフルーツの女性は……謎とロマンス
が大好き……」
もちろんあなたは知らなかったでしょうが、この言葉であなたは、私に対し
て、応じずにはいられないような挑戦状をつきつけたのです。というのは物語
を作るのは、私の生涯をかけた仕事、いや人生の活力だからです。私はたくさ
んの物語を作ってきました。ことによるとあなたも、そのいくつかをブロード
ウエーでご覧になったかもしれません、。また、ロンドンで私の劇が公開予定
と言う知らせを見たことがあるかもしれません。パレスシアターの演目表には
私の劇のことが書かれていました。私がイギリスにいるのも、その仕事のため
です。企画がオクラになったため、今はいつでも帰国できるのですが。
このようにあなたが七通の手紙という特典を与えたのは私の思うつぼでした。
つまり、と私は考えました、この女性は謎とロマンスを求めている。それなら、
ようし、それをさしあげようじゃないか!
そして上から聞こえてきたフレイザー=フリーア大尉の重い編上靴の音がヒ
ントになったのです。立派な、固い信念を持った、誠意あふれる人物ですよ、
大尉は。彼の従兄弟、アーチボルド・エンライトの紹介状を差し出してからと
いうもの、とても親切にしてくれるのです。かわいそうなアーチー! おとな
しくて品行方正なのに、私が彼をスパイで、ライムハウスの常連に仕立てあげ
たことを知ったら、ショックのあまり言葉も出なくなるでしょう!
話の出だしをどうもっていくかは、まだぼんやりとしていましたが、私は最
初の手紙を書き出し、アーチーの紹介状が普通とはちょっと違うことをほのめ
かしておきました。二番目の手紙を書くとき、フレイザー=フリーアの死がど
うしても必要であると思いました。彼の机の上にあったインド製のナイフを思
いだし、その瞬間に彼の運命は決まったのです。そのときは、謎の解決方法を
まったく考えていませんでした。しかしデーリー・メールのあの四つの奇怪な
メッセージをいぶかりながら読み、これはぜひとも話の中に取り入れなければ
ならないと思ったのです。
四番目の手紙はなかなか思うように書けないでいたのですが、それもその晩、
夕食からの帰りに、静かなアパートの前に止まっていたタクシーを見るまでの
ことでした。あれからライラックの香水をつけた女の訪問を思いついたのです。
ドイツの外務省もあそこまで愚かしく自分を目立たせる女スパイには用はない
と思うんですけどね。五番目の手紙を書くときが来ました。私は自分が逮捕さ
れるときが来たように感じました。あなたが、かわいそうだと思ってくれるん
じゃないかと、淡い期待を抱いて。ああ、嫌な奴ですね、私は。自分でもわか
っています!
このゲームをはじめた頃、私は大尉にむかって、あなたを残酷にも殺してし
まったと話しました。彼はとても面白がっていましたが、最後の手紙を書くま
でに必ず汚名を晴らしてくれと言いました。私もそれに同感しました。彼は掛
け値なしにいい人ですから。さらに、彼がふと語ったことから、謎の解決を思
いつきました。彼が確かな筋から聞いたところによれば、潜入スパイを捕まえ
るロシア皇帝の機関の長官自身がスパイだったそうです。それなら……スコッ
トランドヤードにスパイがいてもいいではありませんか。
この手紙を書きながら、私はとても後悔しています。覚えていらっしゃるで
しょうが、この話を書きはじめたときは、戦争が起こるなどとは思ってもいま
せんでした。しかし今は全ヨーロッパが炎に包まれています。激しい戦闘と、
怖ろしい苦しみがやがて訪れることを思うと、私と私のささやかな物語はなん
だか不謹慎な……いや、私の言いたいことは、あなたにはお分かりでしょう。
許してください。どう言えばいいのかまったく分からないのですが、あなた
の興味を手紙にひきつけ、私があなたの関心に値する面白い人間であると感じ
させることがとても重要であるように思えたのです。あなたがカールトン・ホ
テルの朝食室にあらわれたあの朝は、私の人生でほんとうに最高の日でした。
あなたがドアを通って入ってきたとき、まるで私の胸に……。いや、私にそれ
を言う権利はありません。なにも言う権利はないのです。ただ、すべてをあな
たにゆだねます、と言うこと以外は。もしも私があなたの気持ちを傷つけたな
ら、二度と連絡をいただこうとは思いません。
大尉がすぐここに来ます。もうすぐ約束の時間で、彼は決して遅れませんか
ら。彼はインドに戻る予定はなく、大陸への派遣軍に選抜されるだろうと思っ
ています。ドイツ軍が彼に対して私よりも親切であればよいのですが!
私の名前はジェフリー・ウエスト。アデルフィ・テラスの十九番地に住んで
います。部屋からはロンドンでいちばんみごとな庭が見下ろせます。少なくと
もそれは嘘じゃありません。今晩はとても静かで、都会だけでなく、戦争と恐
怖に対する絶え間ないざわめきも、百万マイルのかなたにあるかのようです。
お目にかかることができますか。お答えはまったくあなたしだいです。しか
し、私は一日千秋の思いで返事を待っています。もしも説明の機会を、つまり
直接あなたにむかって自分を非難する機会を与えてくれるなら、そのとき幸運
な男はこの庭と、薄暗い埃っぽい部屋に別れを告げ、地の果て、そう、テキサ
スまでもあなたについて行くでしょう!
フレイザー=フリーア大佐が降りてきます。お嬢さん、これが永遠のお別れ
になるのですか。心からそうでないことを望みます。
悔い改めたイチゴ男
第九章
女中のセイディ・ヘイト気付で送られてきた最後の七通目の手紙を読みなが
ら、カールトン・ホテルの娘が味わった気持ちは、とても言葉では言い表せな
い。が、ぱらぱらと辞書をめくれば、幾つか使えそうな言葉が見つからないわ
けでもないだろう。例えば「驚愕」、「怒り」、「不信」、「感嘆」などだ。
Aの項目まで戻れば、感興(amusement)という言葉も悪くない。謎の解決は
手にしたが、サロニア号の出航まではあと一日とすこし。心中にいろいろな感
情が奇怪に入り乱れている彼女を、我々はそっとしておこうと思う。
彼女を離れて、アデルフィ・テラスの心配でたまらない若い男のほうに戻ろ
う。
手紙が配達されたことを知るや、ジェフリー・ウエストははなはだ謙虚に不
安という椅子に座った。水曜日の朝はそこで何時間も長いこと身悶えしていた
のである。この痛ましい姿の描写が長くならないように、急いで、その日の午
後三時に緊張に終止符を打つ電報が届いたと付け加えよう。彼は封を破り読ん
だ。
イチゴおとこさん。あなたをけっしてゆるさないわ。あすサロニアごうでた
ちます。すぐきこくのよていはありますの? マリアン・A・ラーネッド
こういうわけで数分後、アメリカ人が騒然と群がる、ある汽船会社の切符売
り場に、狂ったような目の若者が加わり、それを見た人々をさらに動揺させた
のだった。彼はくたびれ果てた係員に、なんとしてもサロニア号に乗らなけれ
ばならないのだと火を吐く勢いで言った。この男をしずめる手だてなどありそ
うになかった。彼一人のために定期船を出すと言っても、見むきもしなかった
だろう。
彼は狂ったようにうわごとを言い、髪の毛をかきむしり、激しく怒鳴った。
すべて無駄なことである。分かりやすいアメリカ英語で言えば「どうもならん
《ナッシング・ドゥーイング》」と言うわけだ。
望みはかなわなかったが、決然と彼は、サロニア号の切符を持っている人を、
群衆の中に探し出そうとした。最初のうちはなかなか幸運な相手を見つけるこ
とができなかったが、ついにトミー・グレイと出会ったのである。古い友達で
あるグレイはしつこく問いただされたあげく、喉から手が出るほど欲しくてた
まらないあの船の乗船券を持っていることを認めた。しかし王様に馬と黄金を
みんなやると言われても、彼は少しも心を動かさなかった。願いを聞いてやり
たいのは山々だけど、私も妻も決めているんだ、出航するって。
ジェフリー・ウエストが友達と協定を結んだのはそのときである。彼は友達
から汽船の荷札をもらい、自分の荷物をグレイの所持品としてサロニア号に載
せることになった。
「だけどねえ」とグレイは抗議した。「そこまでうまくやりおおせたとして
も、つまり切符なしで出航できたとしても、どこで寝るんだい。船倉のどこか
に鎖につながれて寝ることになりゃしないか?」
「大丈夫さ」とウエストは陽気に言った。「食堂でも救命ボートでも風下側
の排水口でも、どこでだろうと寝るさ。空中でも寝るよ、目に見える支えがな
くたって。どこだってかまうもんか。とにかく船に乗るんだ! それに鎖と言
ったって……僕をつなぎとめるほど頑丈にできちゃいないぜ」
木曜日の午後五時に、サロニア号はリヴァプールの波止場をすべるように離
れていった。快適な船旅ができる乗員数の、ほぼ二倍にあたる、二千五百人の
アメリカ人がデッキに立って歓声をあげた。その大勢のなかには百万長者もい
たが、彼らですら三等船室の予約だった。誰もが大西洋横断のあいだに空腹、
不快、苦痛を覚える運命にあった。他の人に踏みつけられ、のっかられ、ぎゅ
うぎゅう詰めの状態で押し合いへしあいすることになるのだ。船が埠頭を出た
とき、彼らはそのくらいのことは予想していた。それにもかかわらず歓声をあ
げたのである。
いちばんうれしがっていたのは、混乱のさなかで勝ち誇ったような表情のジ
ェフリー・ウエストだった。無事に乗船し、船は航行中! 切符がないから密
航者だが、そんなことは気にもかけなかった。まさに強固な意志の塊となって、
幸福の船サロニア号に乗りこんだのである。
その夜、サロニア号がデッキの明かりをことごとく消し、舷窓をカーテンで
覆い、こっそりと航海しているとき、ウエストはほの暗いデッキに大切な女性
のすらりとした姿を見た。彼女は黒い海面をみつめながら立っていた。彼は胸
をどきどきさせて彼女に近づいた。なにを言えばいいのか分からなかったが、
とにかくきっかけを作らなければならないと感じていた。
「失礼ですが、お話ししてもよろしいでしょうか」と彼ははじめた。「じつ
は……」
彼女は驚いて振り返り、奇妙な、かすかな笑みを浮かべた。しかしそれは暗
闇の中で彼からは見えなかった。
「ごめんなさい」と彼女。「あなたとは面識がありませんわね、私の記憶し
ているかぎり……」
「分かっています」彼は答えた。「明日、紹介をいただくことになっている
のです。トミー・グレイ氏の奥様が以前あなたと船で一緒に……」
「あの方とは汽船で知り合っただけですわ」娘は冷たく答えた。
「そうでしょうとも! しかしグレイ夫人はすばらしい人です……彼女がき
ちんと紹介の労をとってくださると思います。わたしはただ、明日紹介される
前に……」
「お待ちになった方がよくはなくって?」
「できません! 私は乗船券を持ってないのです。すぐにも下へ降りて、パ
ーサーにそのことを話さなければなりません。海に放り出されるかもしれませ
んし、監禁されるかもしれません。彼らが私みたいな連中をどう扱うのか知り
ませんが、ひょっとしたら火夫にさせられるかもしれませんね。そうしたらあ
なたを二度と見ることもなく、燃料をくべなければなりません。だから今あな
たに言いたいのです……私の想像力が強すぎたことをお詫びします。思わず夢
中になってしまったんです、ほんとうに! あの手紙であなたをだまそうなん
てつもりはありませんでした。しかしいったんはじめると……ご存知でしょう、
私が心からあなたを愛していることを。あの朝、カールトン・ホテルに入って
きた瞬間から私は……」
「あの、困りますわ、ミスター……」
「ウエストです。ジェフリー・ウエスト。あなたを愛しています! どうし
たらそれが証明できますか? 僕は証明しますよ、この船がノース・リヴァー
に着く前に。お父さんに話したほうがいいかも知れませんね、私事広告欄のこ
とも七通の手紙のことも……」
「それはだめ! 父はとても機嫌が悪いの。夕食がまずかったうえに、給仕
係ったら、航海が終るころには、あれがご馳走に思えるさ、なんて言うんです
もの。それに、かわいそうなお父さんはあてがわれた個室じゃ眠れないって言
うし……」
「そのほうが都合がいい! 今すぐお父さんに会いにいきますよ。今、私の
味方をしてくれるなら、いつだって味方してくれるということです! 私が下
に行って、事務室の怖い顔をしたパーサーのご機嫌をとる前に、どうか信じて
くれませんか、私があなたを深く愛しているということを」
「私が愛しているのは、謎とロマンスよ! それからあなたの非凡な創作力
! あんなに嘘がお上手なんだもの、あなたの言葉をまじめに受け取ることな
んてできないわ……」
「この航海が終るまでにはまじめに受け取らざるを得なくなるでしょう。あ
なたへの愛を証明してみせます。もしもパーサーが私を見逃してくれたら……」
「証明なさることがたくさんおありですわね」女は微笑んだ。「明日、トミ
ー・グレイ氏の奥様からご紹介をいただいたら……お付き合いすることになる
かもしれない……作り話の上手な方として。才能があることはたまたま知って
いますもの。でも、それ以上のお付き合いなんて……ばかばかしい! さっさ
とパーサーと決着をつけていらっしゃいな」
しぶしぶ彼はその場を離れた。五分後、彼は戻ってきた。娘はまだ手すりの
そばに立っていた。
「大丈夫です!」ウエストが言った。「こんなことをするのは自分だけだと
思ってたんですが、おなじように困ってる連中が十一人もいるんだそうです。
その一人はウオール街の億万長者だそうですよ。パーサーは我々からすこしお
金を取って、デッキで寝るように言いました、空きがあればですけど」
「残念ですわ」と娘が言った。「私はむしろあなたが火夫になったところを
想像していたんですの」彼女は暗いデッキの上を見まわした。「どきどきなさ
らない? わたし、この航海はきっと謎とロマンスに満ちていると思うの」
「ロマンスに満ちていることは分かります」ウエストが答えた。「謎のほう
は……説明させてください、納得がいくように……」
「黙って!」娘がさえぎった。「父が来るわ。お会いするのを楽しみにして
います……あしたですわね。かわいそうなお父さん、寝る場所を探しているん
だわ」
哀れな父親は、船が冷たい小ぬか雨を受けて毎晩海上を進むあいだ、服を着
たままデッキで寝、食べ物の貯蔵が激減した食堂でひもじい思いをしていた。
五日後のその姿は政敵も心を動かされる哀れなものであった。健康なテキサス
人の食欲をすこしも満足させない夕食のすぐ後、彼は陰気に、今や彼の特別室
と化したデッキチェアにぐったりもたれかかった。ジェフリー・ウエストがさ
っそうとやって来て、そのそばに座った。
「ラーネッドさん」彼は言った。「差し上げたいものがあります」
彼は優しい微笑とともにポケットから大きなあたたかい焼きいもを取り出し
た。テキサスの男は大喜びして贈り物を受け取った。
「どこで手に入れたのかね」彼は宝物を二つに割りながら尋ねた。
「秘密です」ウエストは答えた。「でも私は好きなだけ手に入れられるんで
す。ラーネッドさん、もうお腹を空かせることはありませんからね。それから
他にもお話ししたいことがあるんです。私は、あなたのお嬢さんと結婚しよう
と思っているんです」
夢中になってジャガイモを食べながら下院議員は言った。
「娘はなんと言ってる」
「そんな見こみはないと言うんですよ。でも……」
「じゃ、気をつけろ、君。あいつは君との結婚を決意してるぞ」
「あなたにそう言っていただけてうれしいです。私、自己紹介すべきですね。
それからお嬢さんと会う前に、私が彼女に手紙を七通書いたということも知っ
ておいていただきたくて……」
「ちょっと待て」テキサスの男が口をはさんだ。「その話に入る前に、この
ジャガイモをどこで手に入れたか、教えてくれんか」
ウエストはうなずいた。
「もちろんですとも」と彼は言い、身体を乗り出してささやいた。
年配の男の顔にこの数日間ではじめての笑顔が浮かんだ。
「君」と彼は言った。「君が好きになりそうだ。他のことは気にせんでいい。
君のことは君の友達のグレイからなにもかも聞いておる。それにあの手紙だな
……あれがなければこの旅の前半を耐えることができなかっただろう。マリア
ンが乗船した夜に読めと言ってよこしたんだよ」
突然、雲のかげから長いこと姿が見えなかった月があらわれ、超満員の定期
船を銀色の光で包んだ。父親のことはジャガイモに任せ、ウエストは娘を探し
に出た。
彼女は船首甲板の手すりのそばで月の光を浴びて立っていた。その目はうっ
とりと前方を、彼女を冒険と見聞の旅に送り出した偉大な国のほうを、見てい
た。ウエストが近づくと彼女はくるりと振り返った。
「ちょうどお父さんと話をしてきたんです」彼は言った。「あなたは、結局
は、私を受け入れるつもりだろうとおっしゃいましたよ」
彼女は笑った。
「私たちが船で会うのは、明日の晩が最後ね。そのとき私の最終的な決定を
お聞かせするわ」
「でも二十四時間も先のことですよ! そんなに待たなければいけませんか」
「少しくらいはらはらするのも悪くはないでしょう。あなたの手紙を待って
いた、あの長い日々が忘れられないわ……」
「分かってますよ。でもちょっとだけ……ここで……今晩……ヒントをくれ
ませんか」
「私は冷たい女なの、全然優しくないんだから!」
その時だった。ウエストの指が彼女の手を包みこむと、彼女はそっと言い添
えた。「ヒントになりそうなことはなにも教えない……私の答えが……イエス
だってこと以外は」
翻訳後記
この翻訳は Internet Archive 所収の The Agony Column (1916年 The Bobbs
-Merrill Company) を底本にしました。