もう彼《か》れ此《こ》れ二十|年《ねん》ばかりも前《まへ》にならう。漸《やうや》く私《わたし》が十《おを》ぐらゐで、蠣殻町《かきがらちやう》二|丁目《ちやうめ》の内《うち》から水天宮《すゐてんぐう》裏《うら》の有馬《ありま》學校《がくかう》へ通《かよ》つて居《ゐ》た時分《じぶん》―― 櫻《さくら》が咲《さ》いて空《そら》が霞《かす》んで人形町《にんぎやうちやう》通《どほ》りの紺暖簾《こんのれん》にぽかぽかと日《ひ》があたつて、取《と》り止《と》めのない夢《ゆめ》のやうな幼心《をさなごゝろ》にも何《なん》となく春《はる》が感《かん》じられる陽氣《やうき》な時候《じかう》の頃《ころ》であつた。

或《あ》るうらうらと晴《は》れた日《ひ》の事《こと》、眠《ねむ》くなるやうな午後《ごゞ》の授業《じゆげふ》が濟《す》んで墨《すみ》だらけの手《て》に算盤《そろばん》を抱《かゝ》へながら學校《がくかう》の門《もん》を出《で》ようとすると、

「萩原《はぎはら》の榮《えい》ちやん。」

と、私《わたし》の名《な》を呼《よ》んで後《うしろ》からぱたぱたと追《お》い縋《すが》つた者《もの》がある。其《そ》の子《こ》は同級《どうきふ》の塙信一《はなはしんいち》と云《い》つて入學《にふがく》した當時《たうじ》から尋常《じんじやう》四|年《ねん》の今日《こんにち》まで附添《つきそ》ひ人《にん》の女中《ぢよちゆう》を片時《かたとき》も側《そば》から放《はな》した事《こと》のない評判《ひやうばん》の意氣地《いくぢ》なし、誰《だれ》も彼《かれ》も弱蟲《よわむし》だの泣《な》き蟲《むし》だのと惡口《わるくち》をきいて遊《あそ》び相手《あひて》になる者《もの》のない坊《ぼつ》ちやんであつた。

「何《なに》か用《よう》かい。」

珍《めづ》らしくも信一《しんいち》から聲《こゑ》をかけられたのを不思議《ふしぎ》に思《おも》つて、私《わたし》は其《そ》の子《こ》と附添《つきそ》ひの女中《ぢよちゆう》の顏《かほ》をしげしげと見守《みまも》つた。

「今日《けふ》あたしの内《うち》へ來《き》て一|緖《しよ》にお遊《あそ》びな。内《うち》のお庭《には》でお稻荷樣《いなりさま》のお祭《まつり》があるんだから。」

緋《ひ》の打紐《うちひも》で括《くゝ》つたやうな口《くち》から、優《やさ》しい、おづおづした聲《こゑ》で云《い》つて、信一《しんいち》は訴《うつた》へるやうな眸《まなざし》をした。いつも一人《ひとり》ぼつち[#「ぼつち」に傍点]でいぢけて居《ゐ》る子《こ》が、何《なん》でこんな意外《いぐわい》な事《こと》を云《い》ふのやら、私《わたし》は少《すこ》しうろたへて、相手《あひて》の顏《かほ》を讀《よ》むやうにぼんやり立《た》つた儘《まゝ》であつたが、日頃《ひごろ》は弱蟲《よわむし》だの何《なん》だのと惡口《あくこう》を云《い》つていぢめ散《ち》らしたやうなものの、かうやつて眼《め》の前《まへ》に置《お》いて見《み》ると、有繫《さすが》良家《りやうか》の子息《しそく》だけに氣高《けだか》く美《うつく》しい所《ところ》があるやうに思《おも》はれた。絲織《いとおり》の筒袖《つゝそで》に博多の《はかた》獻上《けんじやう》の帶《おび》を締《し》め、黃八丈《きはちぢやう》の羽織《はおり》を着《き》てきやらこ[#「きやらこ」に傍点]の白足袋《しろたび》に雪駄《せつた》を穿《は》いた樣子《やうす》が、色《いろ》の白《しろ》い瓜實顏《うりざねがほ》の面立《おもだち》とよく似合《にあ》つて、今更《いまさら》品位《ひんゐ》に打《う》たれたやうに、私《わたし》はうつとりとして了《しま》った。

「ねえ、萩原《はぎはら》の坊《ぼつ》ちやん、内《うち》の坊《ぼつ》ちやんと御一緖《ごいつしよ》にお遊《あそ》びなさいましな。實《じつ》は今日《こんにち》手前共《てまへども》にお祭《まつり》がございましてね、あの成《なる》る可《べ》く大人《おとな》しい、お可愛《かあい》らしいお友逹《ともだち》を誘《さと》つてお連《つ》れ申《まを》すやうにお母樣《かあさま》のお云《い》ひ附《つ》けがあつたものですから、それで坊《ぼつ》ちやんがあなたをお誘《さそ》ひなさるのでございますよ。ね、入《い》らしつて下《くだ》さいましな。それともお嫌《いや》でございますか。」

附添《つきそ》ひの女中《ぢよちゆう》にかう云《い》はれて、私《わたし》は心中《しんちゆう》得意《とくい》になつたが、

「そんなら一|旦《たん》内《うち》へ歸《かへ》つて、斷《ことわ》つてから遊《あそ》びに行《い》かう。」

と、わざと殊勝《しゆしよう》らしい答《こたへ》をした。

「おやさうでございましたねえ。ではあなたのお内《うち》までお供《とも》して參《まゐ》つて、お母樣《かあさま》に私《わたくし》からお願《ねが》ひ致《いた》しませうか。さうして手前共《てまへども》へ御一緖《ごいつしよ》に參《まゐ》りませう。」

「うん、いいよ。お前《まへ》ン所《とこ》は知《し》つて居《ゐ》るから後《あと》から一人《ひとり》でも行《い》けるよ。」

「さうでございますか。それではきつとお待《ま》ち申《まを》しますよ。お歸《かへ》りには私《わたくし》がお宅《たく》までお送《おく》り申《まを》しますから、御心配《ごしんぱい》なさらないやうにお内《うち》へ斷《ことわ》つて入《い》らつしやいまし。」

「ああ、それぢや左樣《さよ》なら。」

かう云《い》つて私《わたし》は子供《こども》の方《はう》を向《む》いてなつかしさうに挨拶《あいさつ》をしたが、信一《しんいち》は例《れい》の品《ひん》のある顏《かほ》をにこりともさせず、唯《たゞ》鷹揚《おうやう》にうなづいただけであつた。

今日《けふ》からあの立派《りつぱ》の子供《こども》と仲好《なかよ》しになるのかと思《おも》ふと、何《なん》となく嬉《うれ》しい氣持《きもち》がして、日頃《ひごろ》遊《あそ》び仲間《なかま》の髢屋《かもじや》の幸吉《かうきち》や船頭《せんどう》の鐵公《てつこう》などに見付《みつ》からぬやうに急《いそ》いで内《うち》へ歸《かへ》り、盲縞《めくらじま》の學校着《がくかうぎ》を對《つひ》の黃《き》八|丈《ぢやう》の普斷着《ふだんぎ》に着更《きか》へるや否《いな》や、

「お母《つか》さん、遊《あそ》びに行《い》つて來《く》るよ。」

と、雪駄《せつた》をつツかけながら格子先《かふしさき》に云《い》ひ捨《す》てて、其《そ》の儘《まゝ》塙《はなは》の家《うち》へ駈《か》け出《だ》して行《い》つた。

有馬學校《ありまがくかう》の前《まへ》から眞直《まつす》ぐに中之橋《なかのはし》を越《こ》え、濱町《はまちやう》の岡田《をかだ》の塀《へい》へついて中洲《なかず》に近《ちか》い河岸通《かしどほ》りへ出《で》た所《ところ》は、何《なん》となくさびれたやうな閑靜《かんせい》な一|廓《くわく》をなして居《ゐ》る。今《いま》はなくなつたが新大橋《しんおほはし》の袂《たもと》から少《すこ》し手前《てまへ》の右側《みぎがは》に名代《なだい》の團子屋《だんごや》と煎餅屋《せんべいや》があつて、其《そ》のすぢ向《むか》うの角《かど》の、長《なが》い長《なが》い塀《へい》を繞《めぐ》らした嚴《いか》めしい鐵格子《てつがふし》の門《もん》が塙《はなは》の家《いへ》であつた。前《まへ》を通《とほ》るとこんもりした邸内《ていない》の植《う》ゑ込《こ》みの靑葉《あおば》の隙《ひま》から破風型《はふがた》の日本館《にほんくわん》の瓦《かわら》が銀鼠色《ぎんねずみいろ》に輝《かゞや》き、其《そ》の後《うしろ》に西洋館《せいやうくわん》の褪紅《たいこう》緋色《ひいろ》の煉瓦《れんぐわ》がちらちら見《み》えて、いかにも物持《ものも》ちの住《す》むらしい、奧床《おくゆか》しい構《かま》へであつた。

成《な》る程《ほど》其《そ》の日《ひ》は何《なに》か内《うち》にお祭《まつり》でもあるらしく、陽氣《やうき》な馬鹿囃《ばかばや》しの太鼓《たいこ》の音《おと》が塀《へい》の外《そと》に洩《も》れ、開放《あけはな》された橫町《よこちやう》の裏木戶《うらきど》からは此《こ》の界隈《かいわい》に住《す》む貧乏人《びんばふにん》の子供逹《こどもたち》が多勢《おほぜい》ぞろぞろ庭内《ていない》に入《はい》つて行《ゆ》く。私《わたし》は表門《おもてもん》の番人《ばんにん》の部屋《へや》へ行《い》つて信一《しんいち》を呼《よ》んで貰《もら》はうかとも思《おも》つたが、何《なん》となく恐《おそ》ろしい氣《き》がしたので、其《そ》の子供逹《こどもたち》と同《おな》じ樣《やう》に裏木戶《うらきど》の潛《くゞ》りを拔《ぬ》けて構《かま》への中《なか》へ入《はい》つた。

何《なん》と云《い》ふ大《おほ》きな屋敷《やしき》だらう。かう思《おも》つて私《わたし》は瓢簞形《へうたんがた》をした池《いけ》の汀《みぎは》の芝生《しばふ》に彳《たゝず》んで、ひろいひろい庭《には》の中《うち》を見廻《みまは》した。周延《ちかのぶ》が畫《か》いた千代田《ちよだ》の大奧《おほおく》と云《い》ふ三|枚《まい》續《つゞ》きの繪《え》にあるやうな遣《や》り水《みづ》、築山《つきやま》、雪見燈籠《ゆきみどうろう》、瀨戶物《せともの》の鶴《つる》、洗《あら》ひ石《せき》などがお誂《あつら》へ向《む》きに配置《はいち》されて、水《みづ》のほとりの伽藍石《がらんせき》から幾箇《いくこ》も幾箇《いくこ》も飛《と》び石《いし》が長《なが》く續《つゞ》き、遙《はるか》向《むか》うに御殿のやうな座敷《ざしき》が見《み》えてゐる。彼處《あすこ》に信一《しんいち》が居《ゐ》るのかと思《おも》ふと、もうとても今日《けふ》は會《あ》へないやうな氣《き》がした。

多勢《おほぜい》の子供逹《こどもたち》は毛氈《まうせん》のやうな靑草《あをくさ》の上《うへ》を蹈《ふ》んで、のどかな暖《あたゝか》い日《ひ》の下《した》に遊《あそ》んで居《ゐ》る。見《み》ると綺麗《きれい》に飾《かざ》られた庭《には》の片隅《かたすみ》の稻荷《いなり》の祠《ほこら》から裏《うら》の木戶口《きどぐち》まで一|間《けん》置《お》き位《ぐらゐ》に地口《ぢぐち》の行燈《あんどん》が列《なら》び、接待《せつたい》の甘酒《あまざけ》だのおでんだの汁粉《しるこ》だのの屋臺《やたい》が處々《ところ/″\》に設《まう》けられて、餘興《よきよう》のお神樂《かぐら》や子供《こども》角力《ずまふ》のまはりには山《やま》のやうに人《ひと》が集《あつ》まつてゐる。折角《せつかく》樂《たの》しみにして遊《あそ》びに來《き》たかひもなく、何《なん》だかがつかりして私《わたし》はあてどもなく、其處《そこ》らを步《ある》き廻《まは》つた。

「兄《にい》さん、さあ甘酒《あまざけ》を飮《の》んでおいで、お錢《あし》は要《い》らないんだよ。」

甘酒屋《あまざけや》の前《まへ》へ來《く》ると赤《あか》い襷《たすき》をかけた女中《ぢよちゆう》が笑《わら》ひながら聲《こゑ》をかけたが、私《わたし》はむづかしい顏《かほ》をして其處《そこ》を通《とほ》り過《す》ぎた、やがておでん屋《や》の前《まへ》へ來《く》ると、また、

「兄《にい》さん、さあおでんを食《た》べておいで、お錢《あし》がなくても上《あ》げるんだよ。」

と、頭《あたま》の禿《は》げた爺《おやぢ》に聲《こゑ》をかけられる。

「いらないよ、いらないよ。」

と、私《わたし》は情《なさけ》ない聲《こゑ》を出《だ》して、あきらめたやうに裏木戶《うらきど》へ引《ひ》き返《かへ》さうとした時《とき》、紺《こん》の法被《はつぴ》を着《き》た酒臭《さけくさ》い息《いき》の男《をとこ》が何處《どこ》からかやつて來《き》て、

「兄《にい》さん、お前《めへ》はまだお菓子《くわし》を貰《もら》はねえんだらう。歸《けへ》るんならお菓子《くわし》を貰《もら》つて歸《けへ》りな。さ、此《こ》れを持《も》つて彼處《あすこ》の御座敷《おざしき》の小母《をば》さんの處《とこ》へ行《い》くとお菓子《くわし》をくれるから、早《はや》く貰《もら》つて來《く》るがいい。」

かう云《い》つて眞紅《まつか》に染《そ》めたお菓子《くわし》の切符《きつぷ》を渡《わた》してくれた。私《わたし》は悲《かな》しさが胸《むね》へこみ上《あ》げて來《き》たが、若《も》しや座敷《ざしき》の方《はう》へ行《い》つたら信一《しんいち》に會《あ》へるか知《し》らんと思《おも》ひ、云《い》はれる儘《まゝ》に切符《きつぷ》を貰《もら》つて又《また》庭《には》の中《うち》を步《ある》き出《だ》した。

幸《さいは》ひと其《そ》れから間《ま》もなく附《つ》き添《そ》ひの女中《ぢよちゆう》に見附《みつ》けられて、

「坊《ぼつ》ちやん、よく入《い》らしつて下《くだ》さいました。もう先《さつき》からお待《ま》ち兼《か》ねでございますよ。さあ彼方《あちら》へ入《い》らつしやいまし。かう云《い》ふ卑《いや》しい子供逹《こどもたち》の中《なか》でお遊《あそ》びになつてはいけません。」

と、親切《しんせつ》に手《て》を握《にぎ》られ、私《わたし》は思《おも》はず淚《なみだ》ぐんで、直《す》ぐには返辭《へんじ》が出來《でき》なかつた。

床《ゆか》の高《たか》い、子供《こども》の丈《たけ》ぐらゐ有《あ》りさうな椽《えん》に沿《そ》うて、庭《には》に突《つ》き出《で》た廣《ひろ》い座敷《ざしき》の蔭《かげ》へ廻《まは》ると、十坪《とつぼ》ばかりの中庭《なかには》に、萩《はぎ》の袖垣《そでがき》を結《ゆ》ひ繞《めぐ》らした小座敷《こざしき》の前《まへ》へ出《で》た。

「坊《ぼつ》ちやん、お友逹《ともだち》が入《い》らつしやいましたよ。」

靑桐《あをぎり》の木立《こだち》の下《した》から女中《ぢよちゆう》が呼《よ》び立《た》てると、障子《しやうじ》の蔭《かげ》にばたばたと小刻《こきざ》みの足音《あしおと》がして、

「此方《こつち》へお上《あが》んな。」

と甲高《かんだか》い聲《こゑ》で怒鳴《どな》りながら、信一《しんいち》が椽側《えんがは》へ駈《か》けて來《き》た。あの憶病《おくびやう》な子《こ》が、何處《どこ》を押《お》せばこんな元氣《げんき》の好《い》い聲《こゑ》が出《で》るのだらうと、私《わたし》は不思議《ふしぎ》に思《おも》ひながら、見違《みちが》へる程《ほど》盛裝《せいさう》した友《とも》の樣子《やうす》をまぶしさうに見上《みあ》げた。黑羽二重《くろはぶたへ》の熨斗目《のしめ》の紋附《もんつき》に羽織袴《はおりはかま》を着《つ》けて立《た》つた姿《すがた》は、椽側《えんがは》一|杯《ぱい》に照《て》らす麗《うらゝ》かな日《ひ》をまともに浴《あ》びて黑《くろ》い七子《なゝこ》の羽織地《はおりぢ》が銀沙《ぎんすな》のやうにきらきら光《ひか》つて居《ゐ》る。

友逹《ともだち》に手《て》をひかれて通《とほ》されたのは八|疊《でふ》ばかりの小綺麗《こぎれい》な座敷《ざしき》で、餅菓子《もちぐわし》の折《をり》の底《そこ》を嗅《か》ぐやうな甘《あま》い香《かほ》りが部屋《へや》の中《うち》に漂《たゞよ》ひ、ふくやかな八|反《たん》の座蒲團《ざぶとん》が二《ふた》つ人待《ひとま》ち顏《がほ》に敷《し》かれてあつた。直《す》ぐにお茶《ちや》だのお菓子《くわし》だのお强飯《こは》に口取《くちと》りを添《そ》へた溜塗《ためぬり》の高臺《たかだい》だのが運《はこ》ばれて、

「坊《ぼつ》ちやん、お母樣《かあさま》がお友逹《ともだち》と仲《なか》よくこれを召《め》し上《あが》るやうにつて。‥‥それから今日《こんち》は好《い》いお召《めし》を召《め》して居《ゐ》らつしやるんですから、あんまりお徒《いた》をなさらないやうに大人《おとな》しくお遊《あそ》びなさいましよ。」

と、女中《ぢよちゆう》は遠慮《ゑんりよ》して居《ゐ》る私《わたし》に赤飯《せきはん》やきんとん[#「きんとん」に傍点]を勸《すゝ》めて次《つぎ》へ退《さが》つて了《しま》つた。

物靜《ものしづ》かな、日《ひ》あたりの好《い》い部屋《へや》である。燃《も》えるやうな障子《しやうじ》の紙《かみ》に椽先《えんさき》の木蓮《もくれん》の影《かげ》が映《うつ》つて、遙《はるか》かに庭《には》の方《はう》から、てん、てん、てん、とお神樂《かぐら》の太鼓《たいこ》の音《おと》が子供逹《こどもたち》のがやがや云《い》ふ騷《さわ》ぎに交《まじ》つて響《ひゞ》いて來《く》る。私《わたし》は遠《とほ》い不思議《ふしぎ》な國《くに》に來《き》たやうな氣《き》がした。

「信《しん》ちやん、お前《まへ》はいつも此《こ》のお座敷《ざしき》にゐるのかい。」

「ううん、此處《ここ》は本當《ほんと》は姊《ねえ》さんの所《とこ》なの。彼處《あすこ》にいろんな面白《おもしろ》い姊《ねえ》さんの玩具《おもちや》があるから、見《み》せて上《あ》げようか。」

かう云《い》つて信一《しんいち》は地袋《ぢぶくろ》の中《なか》から、奈良人形《ならにんぎやう》の猩々《しやう/″\》や、木目込《きめこ》み細工《ざいく》の尉《じよう》と姥《うば》や、西京《さいきやう》の芥子人形《けしにんぎやう》、伏見人形《ふしみにんぎやう》、伊豆藏人形《いづくらにんぎやう》などを二人《ふたり》のまはりへ綺麗《きれい》に列《なら》べ、さまざまの男女《だんぢよ》の姿《すがた》をした首人形《くびにんぎやう》を二|疊《でふ》程《ほど》の疊《たゝみ》の目《め》へ數知《かずし》れず挿《さ》し込《こ》んで見《み》せた。二人《ふたり》は蒲團《ふとん》へ腹這《はらば》ひになつて、髯《ひげ》を生《は》やしたり、眼《め》をむきだしたりして居《ゐ》る巧緻《かうち》な人形《にんぎやう》の表情《へうじやう》を覗《のぞ》き込《こ》むやうにした。さうしてかう云《い》ふ小《ちひ》さい人間《にんげん》の住《す》む世界《せかい》を想像《さうざう》した。

「まだここに繪草紙《ゑざうし》が澤山《たくさん》あるんだよ。」

と、信一《しんいち》は又《また》袋戶棚《ふくろとだな》から、半《はん》四|郞《らう》や菊之丞《きくのじよう》の似顏繪《にがほゑ》のたたうに一|杯《ぱい》詰《つ》まつて居《ゐ》る草雙紙《くさざうし》を引《き》き擦《ず》り出《だ》して、色々《いろ/\》の繪本《ゑほん》を見《み》せてくれた。何《なん》十|年《ねん》立《た》つたか判《わか》らぬ木版刷《もくはんずり》の極彩色《ごくさいしき》が、光澤《つや》も褪《あ》せないで鮮《あざや》かに匂《にほ》つてゐる美濃紙《みのがみ》の表紙《へうし》を開《ひら》くと、黴臭《かびくさ》いケバケバの立《た》つて居《ゐ》る紙《かみ》の面《おもて》に、舊幕時代《きうばくじだい》の美《うつ》くしい男女《だんぢよ》の姿《すがた》が生《い》き生《い》きとした目鼻立《めはなだ》ちから細《こま》かい手足《てあし》の指先《ゆびさき》まで、さながら動《うご》き出《だ》すやうに描《ゑが》かれてゐる。丁度《ちやうど》此《こ》の屋敷《やしき》のやうな御殿《ごてん》の奧庭《おくには》で、多勢《おほぜい》の腰元《こしもと》と一|諸《しよ》にお姬樣《ひめさま》が螢《ほたる》を追《お》つて居《ゐ》るかと思《おも》へば、淋《さび》しい橋《はし》の袂《たもと》で深編笠《ふかあみがさ》の侍《さむらひ》が下郞《げらう》の首《くび》を打《う》ち落《おと》し、屍骸《しがい》の懷中《くわいちゆう》から奪《うば》ひ取《と》つた文箱《ふばこ》の手紙《てがみ》を、月《つき》にかざして讀《よ》んで居《ゐ》る。其《そ》の次《つぎ》には黑裝束《くろしやうぞく》に覆面《ふくめん》の曲者《くせもの》がお局《つぼね》の中《なか》へ忍《しの》び込《こ》んで、ぐつすり寢《ね》て居《ゐ》る椎茸髱《しひたけたぼ》の女《をんな》の喉元《のどもと》へ蒲團《ふとん》の上《うへ》から刀《かたな》を突《つ》き通《とほ》して居《ゐ》る。又《また》ある所《ところ》では行燈《あんどん》の火影《ほかげ》かすかな一《ひ》と間《ま》の中《うち》に、濃艶《のうえん》な寢卷姿《ねまきすがた》の女《をんな》が血《ち》のしたたる剃刀《かみそり》を口《くち》に咬《くは》へ、噓空《こくう》を摑《つか》むで足許《あしもと》に斃《たふ》れて居《ゐ》る男《をとこ》の死《し》に態《ざま》をぢろりと眺《なが》めて、「ざまを見《み》やがれ。」と云《い》ひながら立《た》つて居《ゐ》る。信一《しんいち》も私《わたし》も一|番《ばん》面白《おもしろ》がつて見《み》たのは奇怪《きくわい》な殺人《さつじん》の光景《くわうけい》で、眼球《めだま》が飛《と》び出《だ》して居《ゐ》る死人《しにん》の顏《かほ》だの、胴斬《どうぎ》りにされて腰《こし》から下《した》だけで立《た》つて居《ゐ》る人間《にんげん》だの、眞黑《まつくろ》な血痕《けつこん》が雲《くも》のやうに斑《ふ》をなして居《ゐ》る不思議《ふしぎ》な圖面《づめん》を、夢中《むちゆう》になつて覗《のぞ》き込《こ》んで居《ゐ》ると、

「あれ、また信《しん》ちやんは人《ひと》の物《もの》を徒《いたづ》らして居《ゐ》るんだね。」

かう云《い》つて、友禪《いうぜん》の振袖《ふりそで》を着《き》た十三四の女《をんな》の子《こ》が襖《ふすま》を開《あ》けて駈込《かけこ》んで來《き》た。額《ひたひ》のつまつた、眼元《めもと》口元《くちもと》の凛々《りゝ》しい顏《かほ》に子供《こども》らしい怒《いかり》を含《ふく》んで、つツと立《た》つた儘《まゝ》弟《おとうと》と私《わたし》の方《はう》をきりきり睨《ね》め付《つ》けて居《ゐ》る。信一《しんいち》は一《ひ》と縮《ちゞ》みに縮《ちゞ》み上《あが》つて蒼《あを》くなるかと思《おも》ひの外《ほか》、

「何《なに》云《い》つてるんだい。徒《いたづ》らなんかしやしないよ。お友逹《ともだち》に見《み》せてやつてるんぢやないか。」

と、まるで取《と》り合《あ》はないで、姊《あね》の方《はう》を振《ふ》り向《む》きもせずに繪本《ゑほん》を繰《く》つて居《ゐ》る。

「徒《いたづ》らしない事《こと》があるもんか。あれ、いけないつてばさ。」

ばたばたと姊《あね》は駈《か》け寄《よ》つて、見《み》て居《ゐ》る本《ほん》を引《ひ》つたくらうとしたが、信一《しんいち》もなかなか放《はな》さない。表紙《へうし》と裏《うら》とを雙方《さうはう》が引張《ひつぱ》つて、綴《と》ぢ目《め》の所《ところ》が今《いま》にも破《やぶ》けさうになる、暫《しばら》くさうして睨《にら》み合《あ》つて居《ゐ》たが、

「姊《ねえ》さんのけちんぼ! もう借《か》りるもんかい。」

と、信一《しんいち》はいきなり本《ほん》をたたき捨《す》てて、有《あ》り合《あ》ふ奈良人形《ならにんぎやう》を姊《あね》の顏《かほ》へ投《な》げ付《つ》けたが、狙《ねら》ひが外《はづ》れて床《とこ》の間《ま》の壁《かべ》へ中《あた》つた。

「それ御覽《ごらん》な、そんな徒《いたづ》らをするぢやないか。――またあたしを打《ぶ》つんだね。いいよ、打《ぶ》つなら澤山《たくさん》お打《ぶ》ち。此《こ》の間《あひだ》もお前《まへ》のお蔭《かげ》で、こら、こんなに痣《あざ》になつて未《ま》だ消《き》えやしない。これをお父樣《とうさん》に見《み》せて云《い》つけてやるから覺《おぼ》えておいで。」

恨《うら》めしさうに淚《なみだ》ぐみながら、姊《あね》は縮緬《ちりめん》の裾《すそ》をまくつて、眞白《まつしろ》な右脚《みぎあし》の脛《すね》に印《いん》せられた痣《あざ》の痕《あと》を見《み》せた。丁度《ちやうど》膝頭《ひざがしら》のあたりからふくら[#「ふくら」に傍点]脛《はぎ》へかけて、血管《けつくわん》が靑《あを》く透《す》いて見《み》える薄《うす》い柔《やはらか》い肌《はだ》の上《うへ》を、紫《むらさき》の斑點《はんてん》がぼかしたやうに傷々《いた/\》しく濁染《にじ》んでゐる。

「云《い》つけるなら勝手《かつて》においひつけ。けちんぼ、けちんぼ。」

信一《しんいち》は人形《にんぎやう》を足《あし》で滅茶滅茶《めちやめちや》に蹴倒《けたふ》して、

「お庭《には》へ行《い》つて遊《あそ》ばう。」

と、私《わたし》を連《つ》れて其處《そこ》を飛《と》び出《だ》してしまつた。

「姊《ねえ》さんは泣《な》いて居《ゐ》るか知《し》ら。」

戶外《そと》へ出《で》ると、氣《き》の毒《どく》なやうな悲《かな》しいやうな氣持《きもち》になつて私《わたし》は尋《たづ》ねた。

「泣《な》いたつていいんだよ。每日《まいにち》喧嘩《けんくわ》して泣《な》かしてやるんだ。姊《ねえ》さんたつて彼《あ》れはお妾《めかけ》の子《こ》なんだもの。」

こんな生意氣《なまいき》な口《くち》をきいて、信一《しんいち》は西洋館《せいやうくわん》と日本館《にほんくわん》の間《あひだ》にある欅《けやき》や櫟《くぬぎ》の大木《たいぼく》の蔭《かげ》へ步《ある》いて行《い》つた。其處《そこ》は繁茂《はんも》した老樹《らうじゆ》の枝《えだ》がこんもりと日《ひ》を遮《さへぎ》つて、じめじめした地面《ぢめん》には靑苔《あをごけ》が一|面《めん》に生《は》え、暗《くら》い肌寒《はださむ》い氣流《きりゆう》が二人《ふたり》の襟元《えりもと》へしみ入《い》るやうであつた。大方《おほかた》古井戶《ふるゐど》の跡《あと》でもあらう、沼《ぬま》とも池《いけ》とも付《つ》かない濁《にご》つた水溜《みづたま》りがあつて、水草《みづくさ》が綠靑《ろくしやう》のやうに浮《う》いて居《ゐ》る。二人《ふたり》は其《そ》の滸《ほとり》へ腰《こし》を下《お》ろして、濕《しめ》つぽい土《つち》の匂《にほひ》を嗅《か》ぎながらぼんやり足《あし》を投《な》げ出《だ》して居《ゐ》ると、何處《どこ》からともなく幽玄《いうげん》な、微妙《びめう》な奏樂《そうがく》の響《ひゞき》が洩《も》れて來《き》た。

「あれは何《なん》だらう。」

かう云《い》ひながらも、私《わたし》は油斷《ゆだん》なく耳《みゝ》を傾《かたむ》けた。

「あれは姊《ねえ》さんがピアノを彈《ひ》いて居《ゐ》るんだよ。」

「ピアノつて何《なん》だい。」

「オルガンのやうなものだつて、姊《ねえ》さんがさう云《い》つたよ。異人《いじん》の女《をんな》が每日《まいにち》あの西洋館《せいやうくわん》へ來《き》て姊《ねえ》さんに敎《をし》へてやつてるの。」

かう云《い》つて信一《しんいち》は西洋館《せいやうくわん》の二|階《かい》を指《ゆびさ》した。肉色《にくいろ》の布《ぬの》のかかつた窓《まど》の中《うち》から絕《た》えず洩《も》れて來《く》る不思議《ふしぎ》な響《ひゞき》。‥‥或《あ》る時《とき》は森《もり》の奧《おく》の妖魔《えうま》が笑《わら》ふ木靈《こだま》のやうな、或《あ》る時《とき》はお伽噺《とぎばなし》に出《で》て來《く》る侏儒共《こびとども》が多勢《おほぜい》揃《そろ》つて踊《をど》るやうな、幾千《いくせん》の細《こま》かい想像《さうざう》の綾絲《あやいと》で、幼《をさな》い頭《あたま》へ微妙《びめう》な夢《ゆめ》を織《を》り込《こ》んで行《ゆ》く不思議《ふしぎ》な響《ひゞき》は、此《こ》の古沼《ふるぬま》の水底《みなそこ》で奏《かな》でるのかとも疑《うたが》はれる。

奏樂《そうがく》の音《ね》が止《や》んだ頃《ころ》、私《わたし》はまだ消《き》えやらぬ ecstasy の快感《くわいかん》の尾《を》を心《こゝろ》に曳《ひ》きながら、今《いま》にあの窓《まど》から異人《いじん》や姊娘《あねむすめ》が顏《かほ》を出《だ》しはすまいかと思《おも》ひ憧《あこが》れてぢつと二|階《かい》を視《み》つめた。

「信《しん》ちやん、お前《まへ》は彼處《あすこ》へ遊《あそ》びに行《い》かないのかい。」

「ああ、徒《いたづ》らをしていけないつて、お母《かあ》さんがどうしても上《あ》げてくれないの、いつかそうツと行《い》つて見《み》ようとしたら、錠《ぢやう》が下《お》りて居《ゐ》てどうしても開《あ》かなかつたよ。」

信一《しんいち》も私《わたし》と同《おな》じやうに好奇《かうき》な眼《め》つきをして二|階《かい》を見上《みあ》げた。

「坊《《ぼつ》ちやん、三|人《にん》で何《なに》かして遊《あそ》びませんか。」

ふと、かう云《い》ふ聲《こゑ》がして後《うしろ》から駈《か》けて來《き》た者《もの》がある。其《そ》れは同《おな》じ有馬學校《ありまがくかう》の一二|年《ねん》上《うへ》の生徒《せいと》で、名前《なまへ》こそ知《し》らないが、每日《まいにち》のやうに年下《としした》の子供《こども》をいぢめて居《ゐ》る名代《なだい》の餓鬼大將《がきだいしやう》だから顏《かほ》はよく覺《おぼ》えて居《ゐ》た。どうして此奴《こいつ》がこんな處《ところ》へやつて來《き》たのだらうと、訝《いぶか》りながら默《だま》つて樣子《やうす》を見《み》て居《ゐ》ると、其《そ》の子《こ》は信一《しんいち》に仙吉《せんきち》仙吉《せんきち》と呼《よ》び捨《ず》てにされながら、坊《ぼつ》ちやん坊《ぼつ》ちやんと御機嫌《ごきげん》を取《と》つて居《ゐ》る。後《あと》で聞《き》いて見《み》れば塙《はなは》の家《うち》の馬丁《べつとう》の子《こ》であつたが、其《そ》の時《とき》私《わたし》は、猛獸遣《まうじうつか》ひのチヤリネの美人《びじん》を見《み》るやうな眼《め》で、信一《しんいち》を見《み》ない譯《わけ》には行《ゆ》かなかつた。

「そんなら三|人《にん》で泥坊《どろばう》ごつこしよう。あたしと榮《えい》ちやんがお巡《まはり》になるから、お前《まへ》は泥坊《どろばう》におなんな。」

「なつてもいいけれど、此《こ》の間《あひだ》見《み》たいに非道《ひど》い亂暴《らんばう》をしつこなしですよ。坊《ぼつ》ちやんは繩《なは》で縛《しば》つたり、鼻糞《はなくそ》をくツつけたりするんだもの。」

此《こ》の問答《もんだふ》をきいて、私《わたし》は愈々《いよ/\》驚《おどろ》いたが、可愛《かあい》らしい女《をんな》のやうな信一《しんいち》が、荒《あら》くれた熊《くま》のやうな仙吉《せんきち》をふん縛《じば》つて苦《くる》しめて居《ゐ》る光景《くわうけい》を、どう考《かんが》へて見《み》ても實際《じつさい》に想像《さうざう》することが出來《でき》なかつた。

やがて信一《しんいち》と私《わたし》は巡査《じゆんさ》になつて、沼《ぬま》の周圍《しうゐ》や木立《こだち》の間《あひだ》を縫《ぬ》ひながら盜賊《どろぼう》の仙吉《せんきち》を追《お》ひ廻《まは》したが、此方《こつち》は二人《ふたり》でも先方《せんぱう》は年上《としうへ》だけに中々《なか/\》捕《つか》まらない。漸《やうや》くの事《こと》で西洋館《せいやうくわん》の裏手《うらて》の塀《へい》の隅《すみ》にある物置小屋《ものおきごや》まで追《お》ひ詰《つ》めた。

二人《ふたり》はひそひそ示《しめ》し合《あは》せて、息《いき》を殺《ころ》し、足音《あしおと》を忍《しの》ばせ、そうつと小屋《こや》の中《なか》へ入《はい》つた。倂《しか》し仙吉《せんきち》は何處《どこ》へ隱《かく》れたものか姿《すがた》が見《み》えない。さうして押《お》し漬《づけ》だの糠味噌《ぬかみそ》だの醤油樽《しやうゆだる》だのの咽《む》せ返《かへ》るやうな古臭《ふるくさ》い匂《にほひ》が、薄暗《うすぐら》い小屋《こや》の中《なか》にこもつて、わらじ蟲《むし》がぞろぞろと蜘蛛《くも》の巢《す》だらけの屋根裏《やねうら》や樽《たる》の周圍《まはり》に這《は》つて居《ゐ》る有樣《ありさま》が、何《なに》か不思議《ふしぎ》な面白《おもしろ》い徒《いたづ》らを幼《をさな》い者《もの》にそそのかすやうであつた。すると何處《どこ》やらでくすくすと忍《しの》び笑《わら》ひをするのが聞《きこ》えて、忽《たちま》ち梁《うつばり》に吊《つ》るしてあつた用心籠《ようじんかご》がめりめりと鳴《な》るかと思《おも》ふと、其處《そこ》から「わあ」と云《い》ひながら仙吉《せんきち》の顏《かほ》が現《あらは》れた。

「やい、下《お》りて來《こ》い。下《お》りて來《こ》ないと非道《ひど》い目《め》に會《あ》はせるぞ。」

信一《しんいち》は下《した》から怒鳴《どな》つて、私《わたし》と一|諸《しよ》に箒木《ほうき》で顏《かほ》を突《つ》かうとする。

「さあ來《こ》い。誰《だれ》でも傍《そば》へ寄《よ》ると小便《しよんべん》をしつかけるぞ。」

仙吉《せんきち》が籠《かご》の上《うへ》から、あはや小便《せうべん》をたれさうにしたので、信一《しんいち》は用心籠《ようじんかご》の眞下《ました》へ廻《まは》り、有《あ》り合《あ》ふ竹竿《たけざを》で籠《かご》の目《め》から仙吉《せんきち》の臀《しり》だの足《あし》の裏《うら》だの、所嫌《ところきら》はずつツ突《つ》き始《はじ》めた。

「さあ、此《こ》れでも下《お》りないか。」

「あいた、あいた。へい、へい、もう下《お》りますから御免《ごめん》なさい。」

悲鳴《ひめい》を揚《あ》げてあやまりながら、痛《いた》む節々《ふし/″\》を抑《おさ》へて下《お》りて來《き》た奴《やつ》の胸《むな》ぐらを取《と》つて、

「何處《どこ》で何《なに》を盜《ぬす》んだか、正直《しやうぢき》に白狀《はくじやう》しろ。」

と、信一《しんいち》が出鱈目《でたらめ》に訊問《じんもん》を始《はじ》める。仙吉《せんきち》は亦《また》、やれ白木屋《しろきや》で反物《たんもの》を五|反《たん》取《と》つたの、にんべん[#「にんべん」に傍点]で鰹節《かつぶし》を盜《ぬす》んだの、日本銀行《にほんぎんかう》でお札《さつ》をごまかしたのと、出鱈目《でたらめ》ながら生意氣《なまいき》な事《こと》を云《い》つた。

「うん、さうか、太《ふと》い奴《やつ》だ。まだ何《なに》か惡《わる》い事《こと》をしたらう。人《ひと》を殺《ころ》した覺《おぼ》えはないか。」

「へいございます。熊谷《くまがい》土手《どて》で按摩《あんま》を殺《ころ》して五十|兩《りやう》の財布《さいふ》を盜《ぬす》みました。さうして其《そ》のお金《かね》で吉原《よしはら》へ參《まゐ》りました。」

緞帳芝居《どんちやうしばゐ》か覗《のぞ》き機巧《からくり》で聞《き》いて來《く》るものと見《み》えて、如何《いか》にも當意卽妙《たういそくめう》の返答《へんたふ》である。

「まだ其《そ》の外《ほか》にも人《ひと》を殺《ころ》したらう。よし、よし、云《い》はないな。云《い》はなければ拷問《がうもん》にかけてやる。」

「もう此《こ》れだけでございますから、勘忍《かんにん》しておくんなさい。」

信一《しんいち》は、手《て》を合《あは》せて拜《おが》むやうにするのを耳《みゝ》にもかけず、素早《すばや》く仙吉《せんきち》の締《し》めて居《ゐ》る薄穢《うすぎたな》い淺黃《あさぎ》の唐縮緬《たうちりめん》の兵兒帶《へこおび》を解《と》いて後手《うしろで》に縛《しば》り上《あ》げた上《うへ》、其《そ》のあまりで兩脚《りやうあし》の踝《くるぶし》まで器用《きよう》に括《くゝ》つた。それから仙吉《せんきち》の髮《かみ》の毛《け》を引張《ひつぱ》つたり、頰《ほつ》ぺたを摘《つ》まみ上《あ》げたり、眼瞼《まぶた》の裏《うら》の紅《あか》い處《ところ》をひつくりかへして白眼《しろめ》を出《だ》させたり、耳朶《みゝたぶ》や唇《くちびる》の端《はし》を掴《つか》んで振《ふ》つて見《み》たり、芝居《しばゐ》の子役《こやく》か雛妓《おしやく》の手《て》のやうなきやしや[#「きやしや」に傍点]な靑白《あをじろ》い指先《ゆびさき》が狡猾《かうくわつ》に働《はたら》いて、肌理《きめ》の粗《あら》い黑《くろ》い醜《みにく》く肥《こ》えた仙吉《せんきち》の顏《かほ》の筋肉《きんにく》は、ゴムのやうに面白《おもしろ》く伸《の》びたり縮《ちゞ》んだりした。其《そ》れにも飽《あ》きると、

「待《ま》て、待《ま》て。貴樣《きさま》は罪人《ざいにん》だから額《ひたひ》に入墨《いれずみ》をしてやる。」

かう云《い》ひながら、其處《そこ》にあつた炭俵《すみだわら》の中《なか》から佐倉炭《さくらずみ》の塊《かたまり》を取《と》り出《だ》し、唾吐《つば》をかけて仙吉《せんきち》の額《ひたひ》へこすり始《はじ》めた。仙吉《せんきち》は滅茶滅茶《めちやめちや》にされて崩《くづ》れ出《だ》しさうな顏《かほ》の輪廓《りんくわく》を奇態《きたい》に歪《ゆが》めながらひいひいと泣《な》いて居《ゐ》たが、しまひには其《そ》の根氣《こんき》さへなくなつて、相手《あひて》の爲《な》すがままに委《まか》せた。日頃《ひごろ》學校《がくかう》では馬鹿《ばか》に强《つよ》さうな餓鬼大將《がきだいしやう》の荒《あら》くれ男《をとこ》が、信一《しんいち》の爲《た》めに見《み》る影《かげ》もない態《ざま》になつて化物《ばけもの》のやうな目鼻《めはな》をして居《ゐ》るのを見《み》ると、私《わたし》はこれ迄《まで》出會《であ》つたことのない一|種《しゆ》不思議《ふしぎ》な快感《くわいかん》に襲《おそ》はれたが、明日《あした》學校《がくかう》で意趣返《いしゆがへ》しされると云《い》ふ恐《おそ》れがあるので、信一《しんいち》と一諸《いつしよ》に徒《いたづ》らをする氣《き》にはなれなかつた。

暫《しばら》くしてから帶《おび》を解《と》いてやると、仙吉《せんきち》は恨《うら》めしさうに信一《しんいち》の顏《かほ》を橫眼《よこめ》で睨《にら》んで、力《ちから》なくぐたりと其處《そこ》へ突俯《つゝぷ》した儘《まゝ》何《なん》と云《い》つても動《うご》かない。腕《うで》を摑《つか》んで引《ひ》き起《おこ》さうとしても亦《また》ぐたりと倒《たふ》れてしまふ。二人《ふたり》とも少《すこ》し心配《しんぱい》になつて、樣子《やうす》を窺《うかゞ》ひながら默《だま》つて彳《たゝず》んで居《ゐ》たが、

「おい、どうかしたのかい。」

と、信一《しんいち》が邪慳《ぢやけん》に襟頸《えりくび》を捕《とら》へて、仰向《あふむ》かせて見《み》れば、いつの間《ま》にか仙吉《せんきち》は泣《な》く眞似《まね》をして汚《よご》れた顏《かほ》を筒袖《つゝそで》で半分程《はんぶんほど》拭《ふ》き取《と》つてしまつて居《ゐ》る可笑《をか》しさに、

「わはゝゝゝ」

と、三|人《にん》は顏《かほ》を見合《みあ》はせて笑《わら》つた。

「今度《こんど》は何《なに》か外《ほか》の事《こと》をして遊《あそ》ばう。」

「坊《ぼつ》ちやん、もう亂暴《らんばう》をしちやいけませんよ。こら御覽《ごらん》なさい、こんなにひどく痕《あと》が附《つ》いたぢやありませんか。」

見《み》ると仙吉《せんきち》の手頸《てくび》の所《ところ》には、縛《しば》られた痕《あと》が赤《あか》く殘《のこ》つて居《ゐ》る。

「あたしが狼《おほかみ》になるから、二人《ふたあり》旅人《たびゞと》にならないか。さうしてしまひに二人共《ふたありとも》狼《おほかみ》に喰《く》ひ殺《ころ》されるんだよ。」

信一《しんいち》が又《また》こんな事《こと》を云《い》ひ出《だ》したので、私《わたし》は薄氣味惡《うすきみわる》かつたが、仙吉《せんきち》が、

「やりませう。」

と云《い》ふから承知《しようち》しない譯《わけ》にも行《ゆ》かなかつた。私《わたし》と仙吉《せんきち》とが旅人《たびびと》のつもり、此《こ》の物置小屋《ものおきごや》がお堂《だう》のつもりで、野宿《のじゆく》をしてゐると、眞夜中頃《まよなかごろ》に信一《しんいち》の狼《おほかみ》が襲《おそ》つて來《き》て、頻《しきり》に戶《と》の外《そと》で吠《ほ》え始《はじ》める。たうとう狼《おほかみ》は戶《と》を喰《く》ひ破《やぶ》つてお堂《だう》の中《なか》を四つ這《ば》ひに這《は》ひながら、犬《いぬ》のやうな牛《うし》のやうな稀有《けう》な呻《うな》り聲《ごゑ》を立《た》てて逃《に》げ廻《まは》る二|人《にん》の旅人《たびゞと》を追《お》ひ廻《まは》す。信一《しんいち》があまり眞面目《まじめ》でやつて居《ゐ》るので、捕《つか》まつたらどんな事《こと》をされるかと、私《わたし》は心《しん》から少《すこ》し恐《こは》くなつてにやにや不安《ふあん》な笑《わら》ひを泛《うか》べながら、其《そ》の實《じつ》一|生懸命《しやうけんめい》俵《たわら》の上《うへ》や筵《むしろ》の蔭《かげ》を逃《に》げ廻《まは》つた。

「おい仙吉《せんきち》、お前《まへ》はもう足《あし》を喰《く》はれたから步《ある》いちやいけないよ。」

狼《おほかみ》はかう云《い》つて旅人《たびゞと》の一人《ひとり》をお堂《だう》の隅《すみ》へ追《お》ひ詰《つ》め、體《からだ》にとび上《あが》つて方々《はう/″\》へ喰《く》ひ付《つ》くと、仙吉《せんきち》は役者《やくしや》のするやうな苦悶《くもん》の表情《へうじやう》をして、眼《め》をむき出《だ》すやら、口《くち》を歪《ゆが》めるやら、いろいろの身振《みぶ》りを巧《たくみ》に演《えん》じて居《ゐ》たが、遂《つひ》に喉笛《のどぶえ》を喰《く》ひ切《き》られて、キヤツと知死期《ちしご》の悲鳴《ひめい》を最後《さいご》に、手足《てあし》の指《ゆび》をぶるぶるとわななかせ、噓空《こくう》を摑《つか》んでバツタリ倒《たふ》れてしまつた。

さあ今度《こんど》は私《わたし》の番《ばん》だ、かう思《おも》ふと氣《き》が氣《き》でなく、急《いそ》いで樽《たる》の上《うへ》へ跳《と》び上《あが》ると、狼《おほかみ》に着物《きもの》の裾《すそ》を咬《くは》へられ、恐《おそ》ろしい力《ちから》で下《した》からぐいぐい引張《ひつぱ》られた。私《わたし》は眞蒼《まつさを》になつて樽《たる》へしつかり摑《つか》まつて見《み》たが、激《はげ》しい狼《おほかみ》の權幕《けんまく》に氣後《きおく》れがして、「ああもうとても助《たす》からない。」と觀念《くわんねん》の眼《め》を閉《と》づる間《ま》もなく引《ひ》きずり落《おと》され、土間《どま》へ仰向《あふむ》きに轉《ころ》げたかと思《おも》ふと、信一《しんいち》は疾風《しつぷう》のやうに私《わたし》の首《くび》ツたまへのしかかつて喉笛《のどぶえ》を喰《く》ひ切《き》つた。

「さあもう二人共《ふたりとも》死骸《しがい》になつたんだからどんな事《こと》をされても動《うご》いちやいけないよ。此《こ》れから骨《ほね》までしやぶつてやるぞ。」

信一《しんいち》にかう云《い》はれて、二人《ふたり》ともだらしなく大《だい》の字《じ》なりに土間《どま》へ倒《たふ》れたまま、一寸《いつすん》も動《うご》けなかつた。急《きふ》に私《わたし》は體《からだ》の處々方々《しよ/\はう/″\》がむづ痒《かゆ》くなつて、着物《きもの》の裾《すそ》のはだけた處《ところ》から冷《つ》めたい風《かぜ》がすうすうと股《また》ぐらに吹《ふ》き込《こ》み、一|方《はう》へ伸《の》ばした右《みぎ》の手《て》の中指《なかゆび》の先《さき》が微《かす》かに仙吉《せんきち》の髮《かみ》の毛《け》に觸《ふ》れて居《ゐ》るのを感《かん》じた。

「此奴《こいつ》の方《はう》が太《ふと》つて居《ゐ》て旨《うま》さうだから、此奴《こいつ》から先《さき》へ喰《く》つてやらう。」

信一《しんいち》はさも愉快《ゆくわい》さうな顏《かほ》をして、仙吉《せんきち》の體《からだ》へ這《は》ひ上《あが》つた。

「あんまり非道《ひど》いことをしちやいけませんよ。」

と、仙吉《せんきち》は半眼《はんがん》を開《ひら》き、小聲《こごゑ》で訴《うつた》へるやうに囁《さゝや》いた。

「そんな非道《ひど》い事《こと》はしないから、動《うご》くときかないよ。」

むしやむしやと仰山《ぎやうさん》に舌《した》を鳴《な》らしながら、頭《あたま》から顏《かほ》、胴《どう》から腹《はら》、兩腕《りやううで》から股《もゝ》や脛《すね》の方《はう》までも喰《く》ひ散《ち》らし、土《つち》のついた草履《ざうり》のまま目鼻《めはな》の上《うへ》でも胸《むね》の上《うへ》でも勝手《かつて》に蹈《ふ》み躪《にじ》るので、又《また》しても仙吉《せんきち》は體中《からだぢう》泥《どろ》だらけになつた。

「さあ此《こ》れからお臀《しり》の肉《にく》だ。」

やがて仙吉《せんきち》は俯向《うつむ》きに臥《ね》かされ、臀《しり》を捲《ま》くられたかと思《おも》ふと、薤《らつきやう》を二つ並《なら》べたやうに腰《こし》から下《した》が裸體《はだか》になつてぬツと晒《さら》し出《だ》された。まくり上《あ》げた着物《きもの》の裾《すそ》を死體《したい》の頭《かしら》へ被《かぶ》せて背中《せなか》へ跳《と》び乘《の》つた信一《しんいち》は、又《また》むしやむしやとやつて居《ゐ》たが、どんな事《こと》をされても仙吉《せんきち》はぢつと我慢《がまん》をして居《ゐ》る。寒《さむ》いと見《み》えて粟立《あはだ》つた臀《しり》の肉《にく》が菎蒻《こんにやく》のやうに顫《ふる》へて居《ゐ》た。

今《いま》に私《わたし》もあんな態《ざま》をさせられるのだ。かう思《おも》つて密《ひそか》に胸《むね》を轟《とゞろ》かせたが、まさか仙吉《せんきち》同樣《どうやう》の非道《ひど》い目《め》にも會《あ》はすまい位《ぐらゐ》に考《かんが》へて居《ゐ》ると、やがて信一《しんいち》は私《わたし》の胸《むね》の上《うへ》へ跨《また》がつて、先《ま》づ鼻《はな》の頭《あたま》から喰《く》ひ始《はじ》めた。私《わたし》の耳《みゝ》には甲斐絹《かひき》の羽織《はおり》の裏《うら》のさやさやとこすれて鳴《な》るのが聞《きこ》え、私《わたし》の鼻《はな》は着物《きもの》から放《はな》つ樟惱《しやうなう》の香《か》を嗅《か》ぎ、私《わたし》の頰《ほゝ》は柔《やはらか》い羽二重《はぶたへ》の肌《はだ》にふうわりと撫《な》でられ、胸《むね》と腹《はら》とは信一《しんいち》の生暖《なまあゝか》い體《からだ》の重味《おもみ》を感《かん》じて居《ゐ》る。潤《うる》ほひのある唇《くちびる》や滑《なめら》かな舌《した》の端《はし》が、ぺろぺろと擽《くす》ぐるやうに舐《な》めて行《い》く奇怪《きくわい》な感覺《かんかく》は、恐《おそ》ろしいと云《い》ふ念《ねん》を打消《うちけ》して魅《み》するやうに私《わたし》の心《こゝろ》を征服《せいふく》して行《ゆ》き、果《は》ては愉快《ゆくわい》を感《かん》ずるようになつた。忽《たちま》ち私《わたし》の顏《かほ》は左《ひだり》の小鬢《こびん》から右《みぎ》の頰《ほゝ》へかけて激《はげ》しく蹂《ふ》み躪《にじ》られ、其《そ》の下《した》になつた鼻《はな》と唇《くちびる》は草履《ざうり》の裏《うら》の泥《どろ》と摩擦《まさつ》したが、私《わたし》は其《そ》れをも愉快《ゆくわい》に感《かん》じて、いつの間《ま》にか心《こゝろ》も體《からだ》も全《まつた》く信一《しんいち》の傀儡《くわいらい》となるのを喜《よろこ》ぶやうになつてしまつた。

やがて私《わたし》も俯向《うつむ》きにされて裾《すそ》を剝《は》がされ、腰《こし》から下《した》をぺろぺろと喰《く》はれてしまつた。信一《しんいち》は、二《ふた》つの死骸《しがい》が裸《はだか》にされた臀《しり》を土間《どま》へ列《なら》べて倒《たふ》れて居《ゐ》る樣子《やうす》を、さも面白《おもしろ》さうにからから笑《わら》つて見《み》て居《ゐ》たが、其《そ》の時《とき》不意《ふい》に先《さき》の女中《ぢよちゆう》が小屋《こや》の戶口《とぐち》に現《あらは》れたので、私《わたし》も仙吉《せんきち》も吃驚《びつくり》して起《お》き上《あが》つた。

「おや、坊《ぼつ》ちやんは此處《こゝ》に居《ゐ》らつしやるんですか。まあお召物《めしもの》を臺《だい》なしに遊《あそ》ばして、何《なに》をなすつて居《ゐ》らつしやるんですねえ。どうして又《また》こんな穢《きたな》い所《ところ》でばかりお遊《あそ》びになるんでせう。仙《せん》ちやん、お前《まへ》が惡《わる》いんだよ、ほんとに。」

女中《ぢよちゆう》は恐《おそ》ろしい眼《め》つきをして叱《しか》りながら、泥《どろ》の足型《あがた》が印《いん》せられて居《ゐ》る仙吉《せんきち》の目鼻《めはな》を、樣子《やうす》ありげに眺《なが》めて居《ゐ》る。私《わたし》は未《ま》だ蹈《ふ》みつけられた顏《かほ》の痕《あと》がぴりぴりするのをぢつと堪《こら》へて何《なに》か餘程《よほど》の惡事《あくじ》でも働《はたら》いた後《のち》のやうな氣《き》になつて立《た》ちすくんだ。

「さあ、もうお風呂《ふろ》が沸《わ》きましたから、好《い》い加減《かげん》に遊《あそ》ばしてお内《うち》にお入《はい》りなさいませんと、お母樣《かあさま》に叱《しか》られますよ、萩原《はぎはら》の坊《ぼつ》ちやんも亦《また》入《い》らつして下《くだ》さいましな。もう遲《おそ》うございますから、私《わたし》がお宅《たく》までお送《おく》り申《もを》しませうか。」

女中《ぢよちゆう》も私《わたし》にだけは優《やさ》しくしたが、

「獨《ひとり》で歸《かへ》れるから、送《おく》つて貰《もら》はないでもいいの。」

かう云《い》つて私《わたし》は辭退《じたい》した。

門《もん》の所《ところ》まで送《おく》つて來《き》てくれた三|人《にん》に、

「あばよ。」

と云《い》つて戶外《おもて》へ出《で》ると、いつの間《ま》にか街《まち》は靑《あを》い夕靄《ゆふもや》に罩《こ》められて、河岸通《かしどほり》にはちらちら灯《ひ》がともつて居《ゐ》る。私《わたし》は恐《おそ》ろしい不思議《ふしぎ》な國《くに》から急《きふ》に人里《ひとざと》へ出《で》て來《き》たやうな氣《き》がして、今日《けふ》の出來事《できごと》を夢《ゆめ》のやうに囘想《くわいさう》しながら家《いへ》へ歸《かへ》つて行《い》つたが、信一《しんいち》の氣高《けだか》く美《うつく》しい器量《きりやう》や人《ひと》を人《ひと》とも思《おも》はぬ我《わ》が儘《まゝ》な仕打《しう》ちは、一|日《にち》の中《うち》にすつかり私《わたし》の心《こゝろ》を奪《うば》つて了《しま》つた。

明《あ》くる日《ひ》學校《がくかう》へ行《い》つて見《み》ると、昨日《きのふ》あんな非道《ひど》い目《め》に會《あ》はされた仙吉《せんきち》は、相變《あひかは》らず多勢《おほぜい》の餓鬼大將《がきだいしやう》になつて弱《よわ》い者《もの》いぢめをして居《ゐ》る代《かは》り、信一《しんいち》は又《また》いつもの通《とほ》りの意氣地《いくぢ》なしで、女中《ぢよちゆう》と一|諸《しよ》に小《ちひ》さくなつて運動場《うんだうば》の隅《すみ》の方《はう》にいぢけて居《ゐ》る氣《き》の毒《どく》さ、

「信《しん》ちやん、何《なに》かして遊《あそ》ばないか。」

と、たまたま私《わたし》が聲《こゑ》をかけて見《み》ても、

「ううん、」

と云《い》つたなり、眉根《まゆね》を寄《よ》せて不機嫌《ふきげん》らしく首《くび》を振《ふ》るばかりである。

それから四五|日《にち》立《た》つた或《あ》る日《ひ》のこと、學校《がくかう》の歸《かへ》りがけに信一《しんいち》の女中《ぢよちゆう》は又《また》私《わたし》を呼《よ》び止《と》めて、

「今日《けふ》はお孃樣《ぢやうさま》のお雛樣《ひなさま》が飾《かざ》つてございますから、お遊《あそ》びに入《い》らつしやいまし。」

かう云《い》つて誘《さそ》つてくれた。

其《そ》の日《ひ》は表《おもて》の通用門《つうようもん》から番人《ばんにん》にお辭儀《じぎ》をして入《はい》つて、正面《しやうめん》の玄關《げんくわん》の傍《わき》にある細格子《ほそがうし》の出入口《でいりぐち》を開《あ》けると、直《す》ぐに仙吉《せんきち》が跳《と》んで來《き》て廊下《らうか》傳《づた》ひに中《ちゆう》二|階《かい》の十|疊《でふ》の間《ま》へ連《つ》れて行《い》つた。信一《しんいち》と姊《あね》の光子《みつこ》は雛段《ひなだん》の前《まへ》に臥《ね》そべりながら、豆炒《まめいり》を喰《た》べて居《ゐ》たが、二人《ふたり》が入《はい》つて來《く》ると急《きふ》にくすくす笑《わら》ひ出《だ》した樣子《やうす》が、何《なに》か又《また》怪《け》しからぬ徒《いたづ》らを企《たく》らんで居《ゐ》るらしいので、

「坊《ぼつ》ちやん、何《なに》か可笑《をか》しいことがあるんですか。」

と、仙吉《せんきち》は不安《ふあん》らしく姊弟《きやうだい》の顏《かほ》を眺《なが》めて居《ゐ》る。

緋羅紗《ひらしや》を掛《か》けた床《とこ》の雛段《ひなだん》には、淺草《あさくさ》の觀音堂《くわんおんだう》のやうな紫宸殿《ししいでん》の甍《いらか》が聳《そび》え、内裏樣《だいりさま》を始《はじ》め五|人囃《にんばや》しの官女《くわんぢよ》が殿上《でんじやう》に列《なら》んで、右近《うこん》の櫻《さくら》、左近《さこん》の橘《たちばな》の下《した》には、三|人《にん》上戶《じやうご》の仕丁《じちやう》が酒《さけ》を煖《あたゝ》めて居《ゐ》る。其《そ》の次《つ》ぎ次《つ》ぎの段《だん》には、燭臺《しよくだい》だのお膳《ぜん》だの鐵漿《おはぐろ》の道具《だうぐ》だの、唐草《からくさ》の金蒔繪《きんまきゑ》をした可愛《かあい》い調度《てうど》が、此《こ》の間《あひだ》姊《あね》の部屋《へや》にあつたいろいろの人形《にんぎやう》と一|諸《しよ》に飾《かざ》つてある。

私《わたし》は雛段《ひなだん》の前《まへ》へ立《た》つて、つくづくと其《そ》れに見惚《みと》れて居《ゐ》ると、後《うしろ》からそうつと信一《しんいち》がやつて來《き》て、

「今《いま》ね、仙吉《せんきち》を白酒《しろざけ》で醉拂《よつぱら》はしてやるんだよ。」

かう耳《みみ》うちをしたが、直《す》ぐにぱたぱたと仙吉《せんきち》の方《はう》へ駈《か》けて行《い》つて、

「おい仙吉《せんきち》、これから四|人《にん》でお酒盛《さかも》りをしようぢやないか。」

と何喰《なにく》はぬ顏《かほ》で云《い》ひ出《だ》した。

四|人《にん》は圓《まる》くなつて、豆炒《まめいり》を肴《さかな》に白酒《しろざけ》を飮《の》み始《はじ》めた。

「此《こ》れはどうも結構《けつこう》な御酒《ごしゆ》でございますな。」

などと大人《おとな》めいた口《くち》をきいて皆《みんな》を笑《わら》はせながら、仙吉《せんきち》は猪口《ちよく》を持《も》つやうな手《て》つきで茶飮茶碗《ちやのみぢやわん》からぐいぐい白酒《しろざけ》を呷《あほ》つた。今《いま》に醉拂《よつぱら》ふだらうと思《おも》ふと可笑《をか》しさが胸《むね》へこみ上《あ》げて、時々《とき/″\》姊《あね》の光子《みつこ》は堪《たま》りかねたやうに腹《はら》を抱《かゝ》へたが、仙吉《せんきち》が醉拂《よつぱら》ふ時分《じぶん》には少《すこ》しばかりお相手《あひて》をした他《ほか》の三|人《にん》も、そろそろ怪《あや》しくなつて來《き》た。下腹《したはら》の邊《へん》に熱《あつ》い酒《さけ》がぶつぶつ沸《わ》き上《あが》つて、額《ひたひ》から雙《さう》の蟀谷《こめかみ》がほんのり汗《あせ》ばみ、頭《あたま》の鉢《はち》の周圍《しうゐ》が妙《めう》に痺《しび》れて、疊《たゝみ》の面《おもて》は船底《ふなぞこ》のやうに上下《じやうげ》左右《さいう》へ搖《ゆ》れて居《ゐ》る。

「坊《ぼつ》ちやん私《わたし》は醉《よ》ひましたよ。皆《みんな》も眞赤《まつか》な顏《かほ》をして居《ゐ》るぢやありませんか。一つ立《た》つて步《ある》いて見《み》ませんか。」

仙吉《せんきち》は立《た》ち上《あが》つて大手《おほで》を振《ふ》りながら座敷《ざしき》を步《ある》き出《だ》したが、直《す》ぐに足許《あしもと》がよろけて倒《たふ》れる拍子《へうし》に、床柱《とこばしら》へこつんと頭《あたま》を打《う》ち付《つ》けたので、三|人《にん》がどつと吹《ふ》き出《だ》すと、

「あいつ、あいつ。」

と、頭《あたま》をさすつて顏《かほ》を顰《しか》めて居《ゐ》る當人《たうにん》も可笑《をか》しさが堪《こら》へられず、鼻《はな》を鳴《な》らしてくすくす笑《わら》つて居《ゐ》る。

やがて三|人《にん》も仙吉《せんきち》の眞似《まね》をして立《た》ち上《あが》り、步《ある》いては倒《たふ》れ、倒《たふ》れては笑《わら》ひ、キヤツキヤツと圖《づ》に乘《の》つて途方《とはう》もなく騷《さわ》ぎ出《だ》した。

「エーイツ、ああ好《い》い心持《こゝろもち》だ。己《おれ》は醉《よ》つて居《ゐ》るんだぞ、べらんめえ。」

仙吉《せんきち》が臀《しり》を端折《はしを》つて肩《かた》へ彌造《やざう》を拵《こしら》へ、職人《しよくにん》の眞似《まね》をして步《ある》くと、信一《しんいち》も私《わたし》も、しまひには光子《みつこ》までが臀《しり》を端折《はしを》つて肩《かた》へ拳骨《げんこつ》を突《つ》つ込《こ》み、丁度《ちやうど》お孃《ぢやう》吉三《きちざ》のやうな姿《すがた》をして、

「べらんめえ、己《おれ》は醉拂《よつぱら》ひだぞ」

と、座敷中《ざしきぢゆう》をよろよろ練《ね》り步《る》いては笑《わら》ひ轉《こ》ける。

「あツ、坊《ぼつ》ちやん坊《ぼつ》ちやん、狐《きつね》ごつこをしませんか。」

仙吉《せんきち》がふと面白《おもしろ》い事《こと》を考《かんが》へ着《つ》いたやうにかう云《い》ひ出《だ》した。私《わたし》と仙吉《せんきち》と二人《ふたり》の田舍者《ゐなかもの》が狐退治《きつねたいぢ》に出《で》かけると、却《かへ》つて女《をんな》に化《ば》けた光子《みつこ》の狐《きつね》の爲《た》めに化《ば》かされて了《しま》ひ、散々《さん/″\》な目《め》に會《あ》つて居《ゐ》る所《ところ》へ、侍《さむらひ》の信一《しんいち》が通《とほ》りかかつて二人《ふたり》を救《すく》つた上《うへ》、狐《きつね》を退治《たいぢ》てくれると云《い》ふ趣向《しゆかう》である。まだ醉拂《よつぱら》つて居《ゐ》る三|人《にん》は直《す》ぐに贊成《さんせい》して、其《そ》の芝居《しばゐ》に取《と》りかかつた。

先《ま》づ仙吉《せんきち》と私《わたし》が向鉢卷《むかうはちま》きに臀端折《しりぱしよ》りで、手《て》に手《て》にはたき[#「はたき」に傍点]を振《ふ》りかざし、

「どうも此《こ》の邊《へん》に惡《わる》い狐《きつね》が出《で》て徒《いたづ》らをするから、今日《けふ》こそ一|番《ばん》退治《たいぢ》てくれべえ。」

と云《い》ひながら登場《とうぢやう》する。向《むか》うから光子《みつこ》の狐《きつね》がやつて來《き》て、

「もし、もし、お前樣逹《まへさんたち》を御馳走《ごちそう》して上《あ》げるから、あたしと一|諸《しよ》に入《い》らつしやいな。」

かう云《い》つて、ぽんと、二人《ふたり》の肩《かた》を叩《たゝ》くと、忽《たちま》ち私《わたし》も仙吉《せんきち》も化《ば》かされて了《しま》ひ、

「いよう、何《なん》とはあ素晴《すば》らしい別品《べつぴん》でねえか。」

などと、眼《め》を細《ほそ》くして光子《みつこ》にでれつき始《はじ》める。

「二人共《ふたりとも》化《ば》かされてるんだから、糞《うんこ》を御馳走《ごちそう》のつもりで喰《た》べるんだよ。」

光子《みつこ》は面白《おもしろ》くて堪《たま》らぬやうにゲラゲラ笑《わら》ひながら、自分《じぶん》の口《くち》で喰《く》ひちぎつた餡《あん》ころ餅《もち》だの、滅茶滅茶《めちやめちや》に足《あし》で踏《ふ》み潰《つぶ》した蕎麥饅頭《そばまんぢう》だの鼻汁《はな》で練《ね》り固《かた》めた豆炒《まめいり》だのを、さも穢《きたな》らしさうに皿《さら》の上《うへ》へ堆《うづたか》く盛《も》つて私逹《わたしたち》の前《まへ》へ列《なら》べ、

「これは小便《せうべん》のお酒《さけ》のつもりよ。――さあお前《まへ》さん、一《ひと》つ召《め》し上《あが》れ。」

と、白酒《しろざけ》の中《なか》へ痰《たん》や唾吐《つばき》を吐《は》き込《こ》んで二人《ふたり》にすすめる。

「おおおいしい、おおおいしい。」

と舌鼓《したつゞみ》を打《う》ちながら、私《わたし》も仙吉《せんきち》も旨《うま》さうに片端《かたつぱし》から殘《のこ》らず喰《た》べてしまつたが、白酒《しろざけ》と豆炒《まめいり》とは變《へん》に鹽《しほ》からい味《あぢ》がした。

「これからあたしが三|味線《みせん》を彈《ひ》いて上《あ》げるから、二人《ふたり》お皿《さら》を冠《かぶ》つて踊《をど》るんだよ。」

光子《みつこ》がはたき[#「はたき」に傍点]を三|味線《みせん》の代《かは》りにして、「こりや、こりや。」と唄《うた》ひ始《はじ》めると、二人《ふたり》は菓子皿《くわしざら》を頭《あたま》へ載《の》せて、「よい來《き》た、よいやさ。」と足拍子《あしべうし》を取《と》つて踊《をど》り出《だ》した。

其所《そこ》へやつて來《き》た侍《さむらひ》の信一《しんいち》が、忽《たちま》ち狐《きつね》の正體《しやうたい》を見屆《みとゞ》ける。

「獸《けだもの》の癖《くせ》に人間《にんげん》をだますなどとは不屆《ふとどき》な奴《やつ》だ。ふん縛《じば》つて殺《ころ》して了《しま》ふからさう思《おも》へ。」

「あれツ、信《しん》ちやん亂暴《らんばう》な事《こと》をすると聽《き》かないよ。」

勝氣《かちき》な光子《みつこ》は負《ま》けるが嫌《いや》さに信一《しんいち》と取組《とつく》み合《あ》ひ、お轉婆《てんば》の本性《ほんしやう》を現《あらは》して剛情《がうじやう》にも中々《なか/\》降參《かうさん》しない。

「仙吉《せんきち》、この狐《きつね》を縛《しば》るんだからお前《まい》の帶《おび》をお借《か》し。さうして暴《あば》れないやうに二人《ふたり》で此奴《こいつ》の足《あし》を抑《おさ》へて居《ゐ》ろ。」

私《わたし》は此《こ》の間《あひだ》見《み》た草雙紙《くさざうし》の中《なか》の、旗本《はたもと》の若侍《わかざむらひ》が仲間《ちうげん》と力《ちから》を協《あは》せて美人《びじん》を略奪《りやくだつ》する挿繪《さしゑ》の事《こと》を想《おも》ひ泛《うか》べながら、仙吉《せんきち》と一|諸《しよ》に友禪《いうぜん》の裾模樣《すそもやう》の上《うへ》から二|本《ほん》の脚《あし》をしつかりと抱《だ》きかかへた。其《そ》の間《あひだ》に信一《しんいち》は辛《から》うじて光子《みつこ》を後手《うしろて》に縛《しば》り上《あ》げ、漸《やうや》く緣側《えんがは》の欄杆《らんかん》に括《くゝ》り着《つ》ける。

「榮《えい》ちやん、此奴《こいつ》の帶《おび》を解《ほど》いて猿轡《さるぐつわ》を篏《は》めておやり。」

「よし來《き》た。」

と、私《わたし》は早速《さつそく》光子《みつこ》の後《うしろ》に廻《まは》つて鬱金縮緬《うこんちりめん》の扱帶《しごき》を解《と》き、結《ゆ》ひたての唐人髷《たうじんまげ》がこはれぬやうに襟足《えりあし》の長《なが》い頸《くび》すぢへ手《て》を挿《さ》し入《い》れしつとりと油《あぶら》にしめつて居《ゐ》る髱《たぼ》の下《した》から耳《みゝ》を掠《かす》めて頤《あご》のあたりをぐるぐると二た廻《まは》り程《ほど》卷《ま》きつけた上《うへ》、力《ちから》の限《かぎ》り引《ひ》き絞《しぼ》つたから縮緬《ちりめん》はぐいぐいと下脹《しもぶく》れのした頰《ほゝ》の肉《にく》へ喰《く》ひ入《い》り、光子《みつこ》は金閣寺《きんかくじ》の雪姬《ゆきひめ》のやうに身《み》を悶《もだ》えて苦《くる》しんで居《ゐ》る。

刺靑 · 第 2 / 8 段